僕は背徳感と、社会の外に追いやられたような疎外感を背に、漆黒に飲まれそうな道を何の目的もなくただただ歩いていた
「カメラを持っていると、そうした表層的な社会の中でほんの一瞬、他人には見せてはいけない一面をえぐりとることができる。光の中、人々や都市のさりげない表情、なんとも形容し難い気配、そうしたものの中に本質があるのではないだろうか。そうした断片を集め社会の本質をさらけ出すために、嘘の仮面を剥ぎとり、社会という圧力によって水面下に追いやられた真実をすくい取るようにシャッターを押してきた」

———写真を見て思い出したのは、高梨豊が『カメラ毎日』(1966年1月号)に36ページにわたって掲載した「東京人」である。
(中略) 高梨豊が「東京人」を撮影したのは、1964年の東京オリンピックの直後であり、東京の環境が大きく変貌していこうとしていた時期だった。そして今、2020年のオリンピックに向けて、東京はふたたび脱皮しつつある。だが、きらびやかな都市の表層を写真で丁寧に引き剥がしていくと、そこには深々とした闇の領域が広がっている。
(収録テキスト:飯沢耕太郎『都市の表層を剥ぐ』より)

Sho Niiro’s latest photobook was taken in and around Tokyo in the ten years between 2007 and 2017.

“In this superficial society, a camera permits its owner for just an instant to scoop out an aspect that should not be shown to other people […] Intent on collecting these fragments and revealing the essence of society, I have released the shutter in order to strip away false masks and capture the truth that has been driven below the surface by the pressure of society.” — from Sho Niiro’s statement

“When we carefully peel pff the surface of this gorgeous city through the medium of these photographs, we find a domain of profound darkness spreading out before us. The act of paying greater attention to the depths of that domain must not cease at this point.” — from Kotaro Iizawa’s afterword

日本の都市は少しも構築的に作られていないので、真実に近づくために、脱構築の方法はおよそ有効ではない。新納氏はそこでPEELINGという方法を考え出した。鋳鉄のもろくなっている上皮がはがれること、剥脱(はくだつ)することという工業用語だ。東京にこの方法をラジカルに適用すると、はがれた上皮の下からすぐにピンク色の皮下質が出てくる。粘液がにじみ出てくる。写真は気配を撮るものという通念を超えて、彼は都市の上皮の下の唯物論的運動を撮ろうとしたのである。
(文化人類学者 中沢 新一)———写真を見て思い出したのは、高梨豊が『カメラ毎日』(1966年1月号)に36ページにわたって掲載した「東京人」である。
(中略) 高梨豊が「東京人」を撮影したのは、1964年の東京オリンピックの直後であり、東京の環境が大きく変貌していこうとしていた時期だった。そして今、2020年のオリンピックに向けて、東京はふたたび脱皮しつつある。だが、きらびやかな都市の表層を写真で丁寧に引き剥がしていくと、そこには深々とした闇の領域が広がっている。
(収録テキスト:飯沢耕太郎『都市の表層を剥ぐ』より)

Sho Niiro’s latest photobook was taken in and around Tokyo in the ten years between 2007 and 2017.

“In this superficial society, a camera permits its owner for just an instant to scoop out an aspect that should not be shown to other people […] Intent on collecting these fragments and revealing the essence of society, I have released the shutter in order to strip away false masks and capture the truth that has been driven below the surface by the pressure of society.” — from Sho Niiro’s statement

“When we carefully peel pff the surface of this gorgeous city through the medium of these photographs, we find a domain of profound darkness spreading out before us. The act of paying greater attention to the depths of that domain must not cease at this point.” — from Kotaro Iizawa’s afterword

日本の都市は少しも構築的に作られていないので、真実に近づくために、脱構築の方法はおよそ有効ではない。新納氏はそこでPEELINGという方法を考え出した。鋳鉄のもろくなっている上皮がはがれること、剥脱(はくだつ)することという工業用語だ。東京にこの方法をラジカルに適用すると、はがれた上皮の下からすぐにピンク色の皮下質が出てくる。粘液がにじみ出てくる。写真は気配を撮るものという通念を超えて、彼は都市の上皮の下の唯物論的運動を撮ろうとしたのである。
(文化人類学者 中沢 新一)

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